イエス・キリストは青森で死んだ?一人の男の誇大妄想が生んだ秘境の聖地と、日本人の宗教観/Jesus Christ died at Aomori, northern Japan? A delusion of a Megalomania made Sacred place in untrodden land
・十和田湖近くの山中に突如現れる「キリストの墓」、実はイエス・キリストは十字架に架からず日本に逃げてきていた?
・この奇妙な伝説の源典は、稀代の誇大妄想狂にして天津教の教祖、竹内巨麿(たけうち きよまろ)が創作した膨大な古史古伝『竹内文書』。神代文字で書かれたと言われるこの壮大な偽書では、キリスト以外にもモーゼ、仏陀にマホメットなど、歴史上の偉人や宗教者がいずれも日本にやってきて、天皇のもとで修業を積んでいたとされている。
・青森県新郷村(旧名:戸来村、へらいむら)には、伝説と共にキリストの墓と呼ばれる大きな木の十字架が据えられ、その一帯は「キリストの里公園」として整備され、園内には「キリストの里伝承館」まで建てられ、さらにその近くには「キリストっぷ」というふざけた名前の土産物店まである。キリストの墓は完全にこの地の“観光資源”として扱われている。ちなみに新郷村にクリスチャンはおらずキリスト教会もない。「全人類の罪の許しを得るために、神の子キリストが自ら生贄の羊として十字架に架かった後に復活した」というキリスト教の大前提を、いとも簡単に覆してしまうこうした妄想を観光資源に採り入れてしまうのが、宗教に対する日本人の“緩さ”なのかとあらためて考えてしまった。
・もう一つ、現代に通じる懸念もある。この妄想じみた伝説が日本社会で突然ブームを呼んだのは昭和10(1935)年以降のこと。「日本こそが歴史を通して世界の中心」と言わんばかりのこのフェークを日本人がもてはやしたのは、明治以来の西洋に対するコンプレックスが頂点に達した裏返しだったのではないか。この直後に日本人は太平洋戦争と言う無謀な暴挙に突っ込んでいった。「日本スゴい!」という現実感に乏しい主張がネットやTVに溢れる現在、日本人は新たな破滅に導く行動に出ようとしてはいないだろうか。
・“Tomb of Christ” exists at small Japanese village near Towadako Lake in Aomori. Jesus Christ was not crucified and escaped from Israel to Japan. Who would believe this?
・The source of this weird legend is “Takeuchi Document” which was generated by Mr. Kiyomaro Takeuchi, the founder of Amatsukyo religion and vast scale of megalomania. This fake document is said to be written by Shintai-Moji, ancient Japanese characters, and it says all historic great people or religious founders such as Moses, Buddha, or Mahomed had come to Japan in order to train themselves for higher spiritual position.
(English text continues to latter half of the page)
2021年紅葉の季節に青森へ、目的は「キリストの墓」
Blogの更新がすっかり滞ってました。昨年から本業の方が忙しくなってきたので、ついつい更新を怠っていたのですが、ほぼ9か月ぶりに投稿する今回の記事は昨年10月に行った青森旅行について。まずは青森県新郷村に照準を定めます。
青森県新郷村はある種のマニアにとっては聖地になっています。ここには「キリストの墓」があるんです!エルサレムで十字架に架かって死に、3日後に甦って天に昇ったはずのイエス・キリストの墓がなぜ日本の東北地方にあるのか?その根拠はある壮大な偽書が伝える伝説のためです(後述)。
十和田湖からほど近い山間の新郷村
10月の第三週、東北の山間部ではほぼ紅葉が満開を迎える頃に、東北新幹線で青森に向かいました。まだ新型コロナ禍で平日とは言え、新幹線の指定席はやっと1/4程度の稼働率。
青森県新郷村は八戸から車で約50分、十和田湖に向かう途中にある本当に山の中の小さな村。新幹線を八戸で降りて、レンタカーで現地に向かいます。
青森県新郷村の位置
いきなりですが、ここでキリストの墓の写真を。
まさに聖歌402番にも謳われている「丘に立てる荒削りの十字架」という表現のような粗末な十字架(1987年に建てられたものらしい)、これが伝説に伝えられる「キリストの墓」だそうです。一帯は「キリストの里公園」として整備されており、国道から散歩道を昇っていくと丘の頂上にこの「キリストの墓」と、その向かい側にもう一つ、イエスの弟である「イスキリの墓」があります。
(しかし「キリストの里公園」の英語名が“Christ of the village park”って、語順を間違えてないかなあ?)
一人の男の誇大妄想が生んだキリスト伝説
しかしなぜ2,000年前にエルサレムのゴルゴダの丘で十字架に架かったはずのイエス・キリストの墓が日本の青森県にあるのか。その典拠となったのは、茨城県磯原(現北茨城市)を拠点とする新興宗教天津教の開祖とされる竹内巨麿(1875?-1965)が世に出した『竹内文書』。竹内巨麿が主張するところによると、「竹内文書」は神代文字で書かれた天津教の聖典とされる文書、その内容は現天皇家の系譜に始まり、ムー大陸などあらゆるオカルト関連の話題が盛り込まれた、オウム真理教の麻原彰晃にも多大な影響を与えた“怪書”だ。
竹内巨麿と竹内文書のイメージ
天皇家の系譜に至っては、神武天皇の前に「上古25代」(または「皇統25代」)とそれに続く「不合朝(あえずちょう)73代」(73代目は神武天皇)があり、さらにそれ以前に「天神7代」と呼ばれる系譜があり、その合計年代は300億年に及ぶ。ビッグバンが起こったのが約138億年前と言われているのに、日本の天皇家の系譜はその倍以上になるわけだ。もちろんこの竹内文書はとうの昔に「偽書」と断定されているわけだが、誇大妄想にしてもあまりにスケールがデカい!戦後のGHQ統治下でアメリカ人の医師が彼を研究対象にするためにアメリカに連れ帰ろうとした、という都市伝説もあながち間違いとも思えない。
この竹内文書には天皇家の系譜の他にも、ムー大陸やらアトランティス大陸やら、空飛ぶ船など、ありとあらゆるオカルト的トピックが山盛りで、さらにモーゼや、仏陀、マホメットなど、歴史上の偉人や宗教者はいずれも日本に来て修業したことになっているらしい。また、イエス・キリストの21歳から30代までの期間についての記述が福音書の中で空白になっていることをネタにして、実はこの期間に彼は古代の日本に来て宗教的修業を重ねた後にユダヤの地に戻り布教を始めた、としている。
この怪しい伝説が青森県新郷村と結びついたのは昭和10年(1935年)のこと。その少し前に十和田湖が国立公園に指定されたのを受けて、当時の村長(当時の名称は戸来村、へらいむら)が村おこしを狙って郷土の有名画家、鳥谷幡山(とやばんざん)を村に招待した。おそらく当時の村長の腹積もりとしては、すでに十和田湖を題材とした絵画で名を馳せていた先生を招待して村の絵を描いてもらったり、中央に紹介してもらおうとしたのではないか。ところが鳥谷氏が連れてきた一人の人間によって、村長のプランは大きく狂いだす。この時の同伴者こそ先述の竹内巨麿その人で、村に着くと一行は村中を歩き回り何かを探し始める。そして村の小高い丘の上に土饅頭を見つけ、これこそ1,900年前に日本に逃れたイエス・キリストの墓に違いないと言い出す。これが現在十字架が建てられている「キリストの墓」とされるところだ。この土饅頭は以前から村では知られていて、数百年前の誰か偉い人の墓らしいということは分かっていた。イエス・キリストの生涯のうち21~30歳過ぎの期間が4つの福音書からすっぽりと抜け落ちていることは西洋でも以前から指摘されていたことだが、竹内文書によるとこの期間にキリストは日本を訪れ、天皇のもとで修行を積んでいたそうだ。キリストに限らず、古来日本にはモーゼや仏陀、マホメットといった世界中の宗教指導者が来日して修業をしていたと竹内文書は語っている(らしい)。キリストは日本で修業し、天皇から「ユダの王」という印璽を賜った後にユダヤの地に帰り新しい教えを布教し始めたが、福音書にもある通り捕縛され十字架に架けられることに。しかしイエス・キリストの代わりに弟のイスキリが身代わりとして十字架に架かることことを申し出た。イスキリが十字架上で死んだ後、3日後に復活したかのように見えたのは、実は隠れていたイエス自身で、彼は弟子たちに教えを授けた後に、天に昇ることなく一族と共に北欧からアフリカ、さらには中央アジアからシベリア、南北米大陸を巡った後にアラスカから船で八戸に上陸して、青森県に居を構えて「八戸太郎天空坊」として118歳まで生きた。
これが竹内巨麿によって主張されたたことだが、このとんでもない伝説をさらに日本中に広めたのが、翌年から戸来村(旧称)に来て精力的に調査を行った山根キクという女性社会活動家だ。彼女はもともと女学校でキリスト教をベースとした教養を積んでいた方だが、同時に(おそらく家族の関係で)竹内巨麿とも親交があり、特に新約聖書福音書の記述に疑問を持っていた山根氏は竹内文書に強い関心を持っていた。竹内巨麿が戸来村を訪れた翌年には自ら同地を訪れ「キリストの墓」を確認し、さらにその土地を管理していた沢口家こそキリストの末裔である(その根拠は、当主が彫りの深い顔をしており、西洋絵画に出てくるキリスト像にそっくりだったというものらしい)ことまで“発見”して、翌昭和12(1937)年に『光りは東方より(日本と世界社)』を著す。この書物は現在でもネットで閲覧することができるので、興味のある方はぜひご一読を(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108516)。内容はとにかく世に溢れる“トンデモ本”と同じで、目に入るありとあらゆるものを我田引水とばかりに自説に採りこんでいく。青森で馬が大事にされているのを見ると、これこそ厩(うまや)で産まれたと言われるイエス・キリストとの関係を表すもの、行き交う人々の顔を見てはユダヤ人の血統を連想し、山で写真を撮った時に鳥が鳴けばユダヤから続く神からの啓示を思い浮かべ、そもそも戸来(へらい)という村名は「ヘブライ」から来たに違いない、と言う具合におのれの感性をフル動員して牽強付会とばかりに強引な自説を裏付けていく。
ところがとんでもない内容のこの著作が世間ではかなりの注目を浴び、ロングセラーとなった。未だに「ムー」などのオカルト雑誌が引き合いに出すほか、オウム真理教の麻原彰晃もこの著作と竹内文書から引用を行って、自分に都合の良い教義を数多く作っている。
キリスト教の教義を真っ向から破壊するキリスト伝説
ここであらためて、先の「キリストの墓」の写真を見てみよう。左側が「十来塚」と呼ばれるイエス・キリストの墓、右側が「十代塚」と呼ばれる弟イスキリの墓。「光りは東方より」によると、イスキリがイエスの身代わりとして十字架上に刑死して葬られた後に、イエスの傍で日本での修業時代から影のように付き従っていた日本人の二人の従者(忍者?)が墓に忍び込んで遺体の一部を運び出し、それを日本まで持ち帰りイエス・キリストの墓の隣りに埋めた。そして福音書が描くところの、キリストの復活の場面に出てくる2人の天使は、まさにこの2人に違いなかった、ということだ。いったい何を根拠にここまで荒唐無稽な話ができるのか・・・、その答えは「竹内文書」に書いてあるから、という以外にない。
このように隣り合った墓の間には、イスラエル大使の名前で、イスラエル国、エルサレム市と新郷村の『友好の記念碑』が据えられている(下写真)。これは今回現地で初めて見たが、個人的にものすごく仰天した。いくらユダヤ教とキリスト教が別の宗教だとは言え、ここまで荒唐無稽で、キリスト教の存在価値を破壊するような偽史偽典をイスラエルが認めるかのような記念碑をどうして設置したのか、設置当時(2004年6月)のイスラエル大使になんとしても聞いてみたい!
キリストの里公園の敷地内には「キリストの里伝承館」なる施設もある。割と小さい展示室には、竹内文書の抜粋コピー(文書の原典は戦災で焼失)や、山根キク氏が指摘した当地に残るユダヤの風習の資料などが並ぶが、正直ショボい感じ。内部の撮影は禁止だったので、入り口横に貼られたポスターの写真を下に貼り付けておくが、雑誌「ムー」と協賛しているだけでオカルト臭が明らか。
実は施設の受付をしていた現地の女性に、「ところでこの村の人たちは、この伝説をみんな信じてるんですか?」と聞いてみたけど、“それは聞いちゃダメなのよ”とでも言わんばかりに誤魔化し笑いをされてしまった。1964年から毎年6月にはこの土地で「キリスト祭り」が行われているが、その祭式はなんと神道方式で、近所の神主さんがやってきて祝詞を読むそうだ。実際のところこの村にはキリスト教会は無いし、クリスチャンもいないらしい。この村が祭り上げる「キリストの墓」伝説は、あくまで村おこし、観光資源を目的とするもので、九州のキリシタン集落のように隠れて独自の信仰を貫いてきたものとはまったく性質が異なるもののようだ。
キリスト教の教義の柱は、
『全人類の原罪を救済するために神の子イエス・キリストが生贄の羊として十字架に架かり、復活して天に挙げられ神の右隣りに座している』
というものだ。竹内文書の語る通りに、神の子、救い主であるイエス・キリストが十字架刑を免れ、復活もせず、遠い異国に逃げて天寿を全うしたのならば、この教義の大前提が根底から覆されてしまう。世界中のキリスト教徒は何のために天に向かって祈るのか、どうして復活祭(イースター)や昇天記念日を祝うのか、キリスト教の存在価値を根っこから引っこ抜いてしまうものだ。こうしたことには考え及ばず、明らかに偽史と分かる伝説を安易に村おこしとして観光資源にしてしまうところが、宗教に無頓着で無邪気な日本の国民性かも知れない、と今回初めて訪れた東北の地で感じた。
もう一つだけどうにも気になるのが、この伝説が世に出た1930年代後半と現代との共通点だ。このキリスト伝説が世に出てかなり社会に受け入れられた1935~37年と言うと、太平洋戦争開戦(1941年)の直前、日中戦争はすでに1937年に始まっており、まさに日本がアジアで覇権を拡大しながら、同時に欧米からの圧力を国全体でヒシヒシと感じていた時期だったろう。同時にそれは、明治以来必死に追いつこうとした西洋文明、西洋人への恐怖とコンプレックスが、具体的な脅威として迫ってきた時期だったかもしれない。こうした時期に、《実は古代より世界の中心は日本だった》という永久に続く天皇家を基に据える(偽)史観はコンプレックスに喘ぐ日本国民にとって格好の精神的逃げ場になったかもしれない。もちろんこの直後に、日本は国を挙げて暴挙としか言えない戦争に踏み切り、敗戦の破滅まで突き進むことになる。
翻って現代のメディア、ネット情報には『日本スゴイ!』のネタが溢れかえっている。現実性に乏しい思い込みは常にコンプレックスとつながっている。近い将来に日本が再び暴挙の選択に向かわないことを願うばかりだ。
・“Tomb of Christ” exists at small Japanese village near Towadako Lake in Aomori. Jesus Christ was not crucified and escaped from Israel to Japan. Who would believe this?
・The source of this weird legend is “Takeuchi Document” which was generated by Mr. Kiyomaro Takeuchi, the founder of Amatsukyo religion and vast scale of megalomania. This fake document is said to be written by Shintai-Moji, ancient Japanese characters, and it says all historic great people or religious founders such as Moses, Buddha, or Mahomed had come to Japan in order to train themselves for higher spiritual position.
・This Gravesite of Christ exists at small village named Shingo-mura (formerly Herai-mura) at Aomori Prefecture. Big wooden cross is installed there and the area is developed as “Christ grave park”, “Memorial hall of Christ grave” is built in the park. Moreover the roadside market named “Kiristop” (combination word of Kirisuto, Japanese calling of Christ, and stop, too kidding!) is built along the street. The legend of Christ gravesite is utilized as an important tourism resource. In addition, there is no Christian and Christian church in the village.
・Principle of Christianity is “Jesus Christ was crucified to sacrifice the sin of all mankind”. The legend of Christ gravesite denies existence value of Christianity so easily. Nevertheless this obsession was taken by villagers as valuable tourism resource. This might prove the loose religious mind of Japanese people.
・There is one more concern which can lead to latest issues. It was after 1935 when this legend had made big boom in Japan. Shortly before Pacific War Japanese people had become enthusiastic with this obsessional fake document claiming “Japan has been true center of the world”. It might have been another side of Japanese inferior complex against Western world since Meiji era. After this boom, Japan had desperately pushed forward to the war. Nowadays web and TV are full of contents “Japan, the great”. I really hope it is not the sign of another outrage of Japan in near future.
Heading to Aomori Prefecture, North Japan, in the season of Autumn colors 2021-Main goal is “Tomb of Jesus Christ”
My apologies, I have not updated my Blog for quite long time as my main business had become hectic since last year. This is my new post in these 9 months. The article is about trip to Aomori Prefecture which I went last October 2021. I headed to Shingo village, Aomori.
Shingo village is a “Sanctuary” for maniac people of some field. There is “Tomb of Jesus Christ” in this village! Jesus Christ, who was crucified at Jerusalem and resurrected in 3 days to be ascended to heaven, then why is there his tomb in such a tiny village in distant Far Eastern land? A magnificent fake document is its reason (see next).
Shingo village:A tiny village close to Towadako Lake
In the third week of October 2021, I took Shinkansen to Aomori in peak season of autumn leaves. Even though it was weekday in Covid-19 restrictions, utilization rate of the train was around one fourth at most.
Shingo village, Aomori, is 50 minutes’ drive from Hachinohe, tiny village on the way to Towadako Lake. I got off Shinkansen at Hachinohe and headed to the village by rental car.
Location of Shingo village, Aomori
Now this is the picture of Tomb of Christ.
Just like “The Old Rugged Cross (Hymn)”, crude wood Cross stands on the small mound (was said to have been built in 1987). This is “Tomb of Christ” as legend says. This area is developed as Christ village park and top of the small hill is this mound and you can find “Tomb of Isukiri (younger brother of Jesus)” against Christ tomb as well.
(Take a look on picture below. “Christ of the village park”? I guess word order is different.)
Legend of Christ generated by a Megalomania
Why does Christ tomb exist in Aomori, Japan, who had been crucified at Jerusalem 2,000 years ago? The source is “Takeuchi Document”, the mysterious document which describes whole history of Imperial family which was found by Mr. Kiyomaro Takeuchi (1875?-1965), the founder of fringe religion called Amatsu-kyo. Kiyomaro Takeuchi asserted that Takeuchi document was written in ancient Japanese letters (神代文字 Shintai-moji) and it covers long history of Imperial family as well as a lot of occult issues like Moo and Atlantic continents, which gave devastating effects to Shoko Asahara, religious terrorist of Aum Shinrikyo who has killed and injured almost 6,000 people (the worst terrorism in Japan).
Images of Kiyomaro Takeuchi and Takeuchi document
Official Japanese history book says Emperor Jinmu is the first Emperor of Japan, and year 2022 is 2,688th year after he took throne. But Takeuchi Document asserts that there were “25 generations of Jouko Dynasty” and “73 generations of Aezu Dynasty (73th Emperor was Jinmu)” before Emperor Jinmu and total history of Japanese Imperial family is over 30 billion years! You must know Big Bang occurred 13.8 billion years ago, history of Japanese Imperial family is double length of this Space. The document was off course already proved to be fake material academically. But it is mega scale obsession! An urban legend says American doctor of GHQ (General Head Quarter: American occupation army after WW2) tried to take him to US as a research target, which sounds very real.
Out of this astronomical Emperor family history, Takeuchi Document is full of occultic stories like Moo and Atlantic continent or Flying ship. The document says all historic religious leaders like Moses, Buddha, or Mohammed had ever visited Japan for religious practice like Jedi knights. As for Jesus Christ, it says he had stayed in Japan during his 20s and 30s (this is empty period even in Evangels) and he returned to Jewish land to begin missionary.
This apocryphal legend has appeared in relation with Shingo village (formerly Herai village) in 1935. Shortly before this year, Towadako Lake was nominated as National Park and the mayor of Herai village tried to promote the village in this occasion. He invited the painter Banzan Toya who was very famous for Towadako lake paintings. In the beginning, the mayor wanted to encourage the painter to draw pictures of the village and introduce those works to cultural society in Tokyo. However his plan has started changing as Mr. Banzan took Kiyomaro Takeuchi with him. They started wandering and searching something in the village, and finally said small mounds on the hill must be the tomb of Jesus Christ who came to Japan 1,900 years ago. This mound is the one I introduced in earlier part. This mound had been known among villagers as a grave of some powerful man of long time ago.
It is already indicated even in Western world that life period of Jesus Christ between 21 to over 30 years old is lacked in 4 Evangels. Takeuchi Document asserts that he came to Japan in this period to practice under Japanese Emperor. Not only for Jesus Christ, many of historic religious leaders like Moses, Buddha, or Mohamed all visited Japan before their famous carrier, so it says. Jesus had practiced in Japan until he received the stamp of “The king of Jew” from the Emperor and he went back to Israel to start missionary but he was arrested and sentenced to be crucified as Bible says. Then his young brother named Iskiri proposed he would be crucified instead of Jesus, and 3 days after Iskiri’s death on the cross Jesus himself was found by his apostles which convinced his people Jesus’s resurrection. After Jesus imparted his last teaching to them, he left Israel (without Ascension) to travel around North Europe, Africa, Central Asia to Siberia, North and South America, and he finally entered Hachinohe, Japan from Alaska. He settled down at Aomori and he named himself as “Hachinohe-Taro-Tenkuubo(Taro is typical Japanese boy’s name, but not for 1,900 years ago)”. He died there at 118 years old.
This is the story told by Kiyomaro Takeuchi. And Ms. Kiku Yamane, social activist woman, visited the village next year and her writing book “Hikari-wa-touhouyori (The light arises from the East)” spread this fake legend nationwide. She had been educated in missionary girls’ school based on Christianity. At the same time, she knew of Kiyomaro Takeuchi probably through her family and she was strongly interested in Takeuchi Document as she had a doubtful eye on descriptions of Evangels. Ms. Kiku Yamane visited the village a year after Kiyomaro Takeuchi to confirm the Christ tomb and in addition, she discovered Sawaguchi family who owned that hill was the descendant of Christ (the premise of this: the master of Sawaguchi family had distinct facial features like European traditional image of Christ). She wrote a book in 1937. If you are keen on Japanese, you can read this book on internet (https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108516). Just like other fallacious books, this work is full of violent logics which try to drive readers into the consequence she wished. For example, she saw villagers took sincere care of horses, then she thought this must be related with Christ’s birth in the stable. When a bird cries in the mountain, she takes it as revelation from the heaven. Villagers’ faces reminded her of Jewish breeds. And finally she found out the name of Herai village came from “Hebrew” (Japanese pronunciation is something like “Heburai”). It is almost a parade of far-fetched logics but this book has become long seller in Japan. Even now this book is quoted by Japanese occult magazine and Shoko Asahara, the founder of Aum Shinrikyo religion and the worst chemical terrorist, had made many quotations from this book to make his forcible and convenient doctrine.
Christ legend which denies Christian doctrines completely
Then let’s take a look on Christ tomb once again. Left hand is the tomb of Jesu Christ called Torai-zuka, right hand is that of Isukiri called Juudai-bo. According to Ms. Kiku Yamane’s work, two Japanese attendants who followed Jesus since he was in Japan sneaked into grave yard of Isukiri in Jerusalem to take out part of his body and they brought it back to Japan. His body was buried next to Jesus’s tomb. To tell you the truth, two angels seen in the scene of Resurrection were those Japanese attendants. How dare she can talk such an absurd story! The answer is it is so written in Takeuchi Document, nothing more than this.
Between these 2 crosses is the memorial board dedicated by Israel Embassy (picture below). I personally was extremely surprised to see this. Even though Judaism is different religion from Christianity, I never understand why Israel acknowledge such an absurd fake legend which destroys the basis of Christianity. The monument was built in June 2014. I am so curious to ask the reason to Israel ambassador of that time!
There is “Christ village memorial hall” on the hill. In relatively small exhibition space, Copies of Takeuchi Document (original scroll was missed during the war) and pictures showing local customs which look like Jewish ones are installed there, but it actually looks quite shabby. The poster of collaboration project with Moo (Japanese occult magazine) proves their Occult smell.
I actually asked the lady at the reception, “Incidentally, do all villagers believe this legend?”, but she just smirked as if she says “You shouldn’t ask in that way”.
A local festival named “Christ Festival” takes place every June since 1964. The festival is led by Shinto protocol by local Shinto shrine. There are no Christian church nor Christian in this village. It seems villagers take this legend just as a resource to promote their tourisms, and they are completely different from Kirishitan people.
“Kirishitan”; Since 1612 Christianity and its Missionary activities have been prohibited in Japan. Christian people, mainly in Nagasaki and other areas in Kyuusyu, has hidden themselves in local area pretending they were Buddhists and kept their original faith for more than 2 centuries.
The most important pillar of Christianity should be
“Jesus Christ was sacrificed on the cross for the salvation from the sin of all mankind and he was resurrected and ascend to heaven”
If Jesus was not crucified nor he was not resurrected to evacuate to Far East like Takeuchi Document says, the major premise of Christianity can easily be tuned on head. Why do Christians all over the world pray to heaven, why do they celebrate Easter or Ascension day? This fake legend destroys the basis of Christian faith completely. Village’s easy-minded adoption of the fake legend proves Japanese unmindful of religious issues. This is what I felt during my trip to Aomori.
I have just one more thing which I can never miss. That is something in common between latest Japanese sentiment and that of late 1930 when this fake legend became trend nationwide. The time of 1935-37 was shortly before Pacific War and Japan-China war had already started in 1937. It was the time when Japan was feeling maximum pressure from Europe and US as Japan had expanded their hegemony in Asia and Pacific regions. At the same time it was the time that they tried to compensate inferiority complex toward western countries which they had struggled catching up since Meiji Restoration (1868). In such a sentiment of the time, the obsession of “Japan has been the global center since the beginning of this world” might have sounded quite attractive. It must have been an ideal spiritual shelter for people who had been exhausted with inferiority complex. After this Japan has desperately stepped into outrageous war and they couldn’t stop until catastrophic defeat.
Nowadays media and web are full of “Japan is great!” contents. Unrealistic preconception without real fact is always related with inferiority complex. I truly hope Japan would never advance into next catastrophe.