《ハンドルネームの種明かし》 「家田満」とは「Jedermann」の音訳:ナチスを産んだワイマール共和国体制と、現代日本との類似/ 《The story behind the handle name》 “Ieda Man” is a phonetic rendering of Jedermann: Parallels between the Weimar Republic, which gave rise to the Nazis, and contemporary Japan
(English text is to be followed soon)
・自分が長年使っているハンドルネーム「家田満」、いかにも日本人の姓名に似せているが、実はワイマール共和国(1918‐1933)時代のドイツを代表する戯曲「Jedermann(ドイツ語読みではイェーダーマンに近い)」の音訳だ。第一次大戦で敗北したドイツがその反省から、当時としては世界最先端の民主主義の理想を実現しようと1918年に建国したのがワイマール共和国。戯曲「Jedermann」は高邁な民主主義の理想と、膨大な戦争賠償金の支払いという現実の狭間で破滅の方向に向かっていったワイマール共和国のアイコンと言える存在だ。
・自分がこの「Jedermann」を「家田満」にもじってみたのは、当時のワイマール体制と現代の日本にあまりに共通点が多いことを思い起こしてもらいたいためだった。高邁な民主主義の理想を掲げながら、現実の世界では膨大な経済的負担を解決する術を持たずに行き詰った末にナチスを選んでしまったワイマール共和国、そして30年間の停滞の末に歴史的な凋落が現実化しつつある現代の日本。
・第二次大戦で焦土と化した日本が奇跡の復興を遂げて世界第2位の経済大国になったのはすでに昔のこと、現代の日本は先進国から途上国レベルに凋落する近代史上で2番目の例になろうとしている。こうしたなかで戦後ほぼ一貫して政権を握ってきた自民党は政治能力も自浄能力もなくし、有象無象の新政党が政権を狙っている。その中にはSNSで支持層を固めながら、その主張はまるでオカルト団体そのもののような新興政党まである。歴史が破滅の方向に向かう最悪の政治環境は、現行政権が能力を失くしたうえに、それに取って代わるまともな勢力がない時だ。こうした時にやたらにラディカルだったり、ちょっと物珍しいことを叫ぶ連中を選んでみたりする。ワイマール共和国もまさにそうした状態でナチスを選んで、その後の歴史的破滅を決定づけた。
間違った選択をしてしまったらもう遅い。参議院選挙(7/20)を前にして、日本の有権者は歴史的な過ちを繰り返さぬために、候補者の正体を確りと見据えるべきだ。
「家田満」はワイマール共和国のアイコン「Jedermann」の音訳
自分が金融セクターをアーリーリタイアしてブログやSNSを始めたのは8年前、それまでは某大手証券の投資銀行部門でインサイドのアナリストとして働いていた。新規上場(IPO)企業や、資本戦略を抱えた上場企業に公表前から入り込み様々な分析、コンサルティングを行う業務だったので、頭の中は常にインサイダー情報で満載、どんなに細心の注意を払ったとしてもとてもSNSなどには手を出せない環境だった。そんな反動もあって会社を辞めた後はすぐに本ブログやSNSを始めているが、その際に使用したハンドルネームはいずれも「家田満」で統一した。
「家田満」というのはいかにも普通の日本人の名前のように聞こえるが、実はホフマンシュタールの戯曲「Jedermann(発音はイェーダーマンに近い)」の音訳だ。Jedermannとは英語にすればEveryman、どこにでもいる市井の人々といったイメージの言葉だ。ちなみに日本の小説家でドイツ文学に通じていた山口瞳氏は、この戯曲をもじって「江分利満氏(エブリマン氏)の優雅な生活」と、その一連のシリーズを発表している。
「Jedermann」は宗教劇の一つだ。Jedermannという名前のどこにでもいるような中年男性は信仰よりも金儲けに精を出していたが、ある日突然死神に連れ去られる。世俗の欲望にまみれた彼は、神の前での審判で救われることはあるのか、というキリスト教社会で最も普遍的な問いかけを描いている。初演は1912年だが、1920年にザルツブルク(オーストリア)でフェスティバルが開始され、以後はワイマール共和国時代を象徴するアイコンとなり、1938年にナチスがオーストラリアを併合してからもナチスの庇護を受けて毎年野外劇として上演が続いている。
自分がこのワイマール共和国時代のアイコンであるJedermannをもじったハンドルネームを選んだのは、やがてはナチスを産みだす当時のドイツの情勢と、現代の日本の政治経済の状況があまりに似ているのではないか、と恐れているからだ。
世界最先端の民主主義の実現を目指したワイマール共和国はなぜ行き詰ったのか
ワイマール共和国は第一次世界大戦終了後の混乱の中で1918年に建国された。当時のドイツは第一次大戦の敗北と、ベルサイユ条約で課せられた天文学的な賠償金で先に希望が見いだせない状況、しかしこうした絶望の中で人々は過去の失敗から脱却し、当時の世界では考えられない水準の民主主義国家の建国に向かった。これがワイマール共和国の誕生だ。その憲法では、男女の同一参政権、議会制民主主義と法治国家、憲法に基本的人権を明記、連邦制・政教分離・社会権の明記など、20世紀初頭とは考えられないほど近代的で高邁な民主主義の理想を掲げて建国された。
しかし共和国はその後順調に歴史を刻んだわけではない。何といっても敗戦によって負った犠牲が大きすぎた。民族としての敗北感もさることながら、ベルサイユ条約によってドイツに課せられた賠償金は1,320億金マルク、これは当時の国家予算の10年分以上に相当し、まともに支払いきれないことは目に見えていた。さらにそうした経済的負担に、1929年の「暗黒の木曜日」に代表される世界大恐慌が覆いかぶさる格好となり、国内は歴史的なハイパーインフレとなり経済は壊滅的な状況に陥った。こうした苦境の中で政権は安定することなく、比例代表制による小党乱立により連立政権は相次いで崩壊、そのうちに反民主的勢力が政治の舞台に入り込むことで政情は混乱し、いわゆる「民主主義の自己破壊性」が現実化している。民主主義の高邁な理想を掲げながら現実の苦境を切り開くことはできず、国全体に行き詰まり感が充満していく。
現代の日本にもこうした情況で当てはまるものはないだろうか。もちろん当時のドイツが課せられた賠償金負担は天文学的なもので、現代の日本と比べるべきではないが、30年間も成長から取り残され、名目GDPでは世界2位からすでに4位(まもなく5位)に滑り落ち、グローバルな競争力では世界トップから38位に凋落し今後の成長も望めず、特に将来への絶望感が強く、国民は恒常的に減少していく所得を消費に回さず貯めようとするばかり。そもそも社会保険料の負担増加と、コストプッシュインフレの高騰で可処分所得は減少する一方だ。政府の間では企業の定年を75歳に設定し、年金受給を80歳からにするなんてとんでもない極論まで議論されている。そうなると日本人は50年以上働いた末に人生最後の2、3年間だけ年金を受給するというまさに近代社会としての終末を思わせるディストピアの様相を呈する。短期的なイベントとしては、90年代以降継続していた「低成長・低賃金・低インフレ」というバランスがこの2、3年で急速に崩れ、低成長と低賃金はそのままに、外部要因によるコストプッシュインフレでインフレ率、生活コストだけが大きく昂進している。特に日本人の主食であるコメの価格は異常気象と政府の無策も相まって、この1年で倍以上に値上がりしている。まさにフランス革命前夜のような状況に陥り、むしろ日本人が暴動を起こさないのが不思議なくらいだ。こうした国民の一人一人に国力の衰退が押し付けられているなかで、どす黒い閉塞感が日本社会の内部で醸成されつつある。
下の図で当時のワイマール共和国と現代の日本との比較を試みた。
政治経済的な類似点のほか注目すべきなのは、社会に広がる「精神論への回帰」だ。これは現実が行き詰まった時に現れる“社会の現実逃避”と呼べるもの。「イェーダーマン」のような宗教道徳劇が人気を得たのも、先行きの見えない現実から目を背けて何か高尚なものだけ見て安らぎを得たい、という心理が強烈に影響していなかっただろうか。「イェーダーマン」という演目はその後、アーリア民族の道徳的に優れた文化の代表としてナチスの庇護を受けて盛んに上映され続けた。1929年から始まる世界恐慌の暴風を受けて国内景気は壊滅的な状況となり、1930年の選挙ではそれまで12議席だった国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の議席が107議席と大躍進し第二党のポジションを得て、混迷を極める政府の中で決定的な権力を掌握するのに短い時間しか要しなかった。1930年の躍進からわずか3年後の1933年にヒトラーは首相の指名を受け、ワイマール共和国はここで崩壊した。悪名高いゲシュタポの前身組織もこの年に作られている。ファシズムと民族浄化の狂気に彩られた破滅の始まりだ。
現代の日本でも「文化」が重要なキーワードだ。TV番組を見ると「外国人旅行者は誰しも日本文化に夢中」と言いたげな番組が毎日流れる。しかしこれ以前の日本が誇っていたのは、優秀な工業製品や高い経済成長力だったはずだ。やたらに過去の遺産である文化や精神面を云々し始めたら、国としての成長はすでに現在進行形ではなくなったと見た方がいい。さらに「文化や伝統」といったことだけだったらいいが、これが「大和民族精神の復活、世界一優秀な民族と国家」などといった“独りよがりの妄想”に走り出したら、社会全体が一気に間違った方向に向かいかねない。現代の日本に必要なのは、根拠のない思い込みを強めることではなく、かつての成長と輝きを取り戻すための地味で具体的な努力のはずだ。
間近に迫った参議院選挙、日本の将来はここで問われる
今週末の7/20(日)は参議院選挙だ。国政選挙となるわけだが、すでに連立与党である自民・公明党は経済環境の悪化と度重なる石破首相の失策で大きく支持を落としており惨敗となるのは必至だ。そうなると上院である参議院での過半数を保つこともできなくなるため、第三の党と連立与党を組むことになる。ここを目指して、現在有象無象の新興政党がSNSを駆使しながら選挙戦を展開している。その中でも“躍進”という表現で既存メディアからも注目されているのが、神谷宗幣氏率いる『参政党』だ。党名だけを聞くと「若者も政治に参加すべき」という主張を思わせるが、その実態は「日本人ファースト」をキャッチフレーズにした《オカルトと陰謀論・民族主義と排外、ヘイト》に凝り固まったカルト集団だ。
これまでの主だった言動を見るだけでも、
<明治維新の裏には国際ユダヤ資本がいた>
<コロナワクチンを射つと死亡率が上がる>
<年齢の高い女は子供を産めない、女子中高生は3人子供を産んでから進学すればいい>
<小麦粉は戦後にアメリカによって持ち込まれた、戦前に日本に小麦粉の料理はなかった>
<メロンパンを食べて翌日に死んだ人が大勢いる>
<ガンは戦後に生まれた病気>
<天皇は側室をもつべき>
<日本は核以上に強力な武装をすべき、国防のためにはドローン部隊を組織し、全国のゲーマーに防衛させる>
もはや枚挙に暇がない、こうしたまったく幼稚で根拠のない主張に加え、自己啓発セミナーの主催、正体不明の「波動水」、「波動米」などスピリチュアル商品の販売など、彼らは政党というよりもカルト集団と呼ぶべき存在だろう。さらに党首の神谷氏は、きわめて他人への支配欲が強い人間で、一切の反論を許さないタイプの人間らしい。昨年末には最も身近にいたはずの秘書が自殺に追い込まれている。
しかしこのフェークと誤情報だらけの集団が参院選を前に着実に力を増している。ここにワイマール共和国の時代と同じ類の「大衆によるパラドックス」を感じてしまう。彼らが標榜する『日本人ファースト』というキャッチフレーズは、トランプ大統領の「America First」が元祖になっている。小池百合子都知事はこれをそのままコピーして「都民ファーストの会」を立ち上げたが、これは単なるパクリで何の実績も挙げなかった。これに対して参政党の『日本人ファースト』には歴史的な危険性を感じざるを得ない。国内政治が機能不全となり国民が自信を失くした時に、最も大衆の心に刺さる思想は「外部勢力の排斥」だ。ナチスがユダヤ人を大衆の敵として設定したように、参政党やその他の保守勢力は日本人の人口減少とともに増加しつつある外国人労働者や留学生を排除しようとしている。またこれはトランプを選んだアメリカにも共通することだと思うが、陰謀論には多くの大衆が「おれの人生がうまく行かないのは陰謀のせいだったのか」と安心させてくれる効果がある。参政党の主張には、衆愚を惑わす仕掛けがそこら中に散りばめられている。
しかし彼らの「日本人ファースト」が、いつまでも日本人を守ってくれるとは到底思えない。彼らが政界で力を増すにつれて、『日本人』の定義はどんどん狭まる。最初は「働いていない高齢者、子供を持たない夫婦、障碍を持った国民、LGBTQ」などは日本人に含まれないとなり、最終的には「参政党(自分)を支持しない」のは日本人ではない、となる。ナチスがどのように独裁体制を強めていったのかをもう一度学んでみよう。
80年代末にオウム真理教という新興宗教団体がいた。彼らは荒唐無稽な主張を掲げて当時の国政選挙に乗り出し惨敗した。当時の日本社会がこの安直な週末論やオカルトのデパートのような宗教団体に対して抱いたイメージは「荒唐無稽なことばかりやってるけど、人畜無害な連中」といったものだった。そのわずか5年後の1995年に、彼らは猛毒化学兵器のサリンやVXガスなどを自前で精製し、13人の死者と6,000人以上の負傷者(このうち4,000人余りが今でも後遺症に苦しんでいる)を出す「地下鉄サリン事件」を起こした。
ワイマール共和国がナチスを選んだ当初も、国民の間ではヒットラーのことを「オーストリアのチビの伍長」と揶揄するものも多かった。しかしそれからわずか数年でナチスは独裁と虐殺の体制を整え、かつてナチスに異を唱えた勢力を処刑していった。
参政党の支持者の中には彼らの荒唐無稽で間違いだらけの演説を面白がって彼らに票を投じる向きも多いように感じる。しかし選んでしまった後に何が起こるのかを想像した方がいい。選挙に行くことは“1億分の1の権利”を行使することだ。日本が歴史的な転換点を迎えようとしているこの時に、間違った選択だけはしてはならない。